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まちの歴史

明治42~大正3

年号 西暦 南尻別のできごと
明治42 1909 2・26 蘭越に蘭越郵便局開局。
大正11・12・26 電信、電話事務開始。
4・1 二級町村制施行。初代村長に伊藤義道(戸長)就任。
戸数1,433戸人口7,688人。
5・11 ユサンベツに南尻別信用購買組合設立。
6 第1回村会議員選挙。定数12名。
8・1 南尻別軍人団(団長川村乙丸)結成。
明治43・12・23 帝国在郷軍人会南尻別分会に組織変更。
9 中目名青年会設立。
9 上目名に沢田澱粉製造所開業。
10・3 志根津川部落会を結成。
10・12 鉄道院告示により、函館・旭川間の鉄道線「函館本線」となる。
10蓬莱泉(赤堀)営業を始める。
この年
◇中目名市街道路開通。
◇尻別川石渕に官設渡船場設置。
◇瑞苗寺(現名駒)の中目名曹洞宗説教所設立。
大正12 量冲教会と改称。
昭和21・12・10 法仙寺となる。
◇中目名とユサンベツに稚蚕共同飼育場を設立。
◇富岡三光神社建立。
明治43 1910 3・1 寿都・岩内・小樽の各支庁を廃し、虻田郡の一部を加えて、倶知安村に後志支庁を置く。南尻別村、後志支庁の管轄となる。
6 目名(現名駒)青年会設立。
7 尻別川鮭鱒孵化組合を組織し、チリベツ(目名川上流)に孵化場を設ける。
12・18 南尻別教育会を設立(会長藤田政平)。
12 志水平五郎、村長に就任。
この年
◇北尻別村後藤竹次郎、帆前船を発動機船尻別川丸(3トン)に取り替え、尻別川の運輸交通を継続。
大正9・10 20馬力の発動機船に替える。
◇吉崎由太郎、馬産奨励のため、アカオトシに競馬場をつくり、草競馬を開催。
◇三井八郎衛門、江差より乳牛3頭を移入、隣接の藤田農場と協同で牛乳を生産、磯谷方面に販売する。
このころ
◇志根津川コナンベツで杓子製造、目国内に経木製造の伝習所開所。
明治44 1911 5 山村直松、村長に就任。
8・23 皇太子(のちの大正天皇)、南尻別村を御通過。目名駅には7分間停車、高齢者礼服を着て奉迎。
この年
◇現名駒及び上目名一帯に山火事があり、大きな被害を受ける。
◇中目名ほか3か所に、村農会所属生繭殺踊乾燥場を設置、巡回教師を置いて養蚕法を指導する。
◇村農会に製糸、製綿の伝習所を置く。
◇平田敬信、現相生・賀老・三笠で水稲を試作。
明治45 1912 4 昆布商組合設立。
7・30 天皇御逝去。大正と改元。
大正元・8・27 明治天皇と追号。
大正元 1912 10 湯山別橋(昆布・湯山別間)竣工。
12・1 尻別川小南部に官設渡船場設置。
この年
◇陸軍馬政局長万部種馬所目名種付所を現名駒に設置。
◇愛知県人青山奥次郎、中昆布に名古屋農場を開く。
◇山梨団体奥昆布入地、開墾に着手。
◇徳島県人敦賀新平ら目国内に移住、水田造成に努力。
◇この年の南尻別村の牧場
岩野牧場、佐藤牧場、村上牧場、田下牧場、田端牧場、田中牧場、
後志牧場、吉崎牧場
大正2 1913 2・2 中目名に天理教磯谷宣教所(現分教会)設立。
8・27 暴風雨のため、目名・熱郛間(現田下)において列車河中に転覆、即死7名、負傷者67名を出す。
9・14~15 降霜あり。この年の稲作皆無、畑作も三分の凶作となる。
9・21 上目名駅開駅。
11 道沢敬蔵、村長に就任(翌12月辞任)。
12 仁科養、村長に就任。
この年
◇昆布より湯山別に至り、同所で三岐し、
1 ニセコアンベツ青山温泉
2 熊本団体
3 成田温泉
に達する殖民道路開通。
◇目名孵化場が4年前に放流した稚魚、成長して来遊。
捕獲数1,600尾
採卵数 120万粒
◇低温並びに暴風雨による凶作。
大正3 1914 2・15 役場、目名(現名駒)から蘭越に移転。
9・17 蘭越に南尻別蚕糸購買生産販売組合設立。
大正10・5・6解散
この年
◇中目名北垣農場で、平田敬信らふたたび水稲を試作、反当り4俵の収穫をあげる。品種、赤毛旭川坊主2号。
◇新見直太郎、温泉(新見)・蘭越間に私設道路を開く。
◇この年から目名(現名駒)で、馬市が開かれる(10月22日前後の2日間)。

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