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まちの歴史

明治29~35

年号 西暦 尻別のできごと
明治29 1896 1・1 渡島・後志・胆振・石狩の四国に徴兵令施行。
5 石川県人藤原与三松、中川喜太郎ら18戸、旧蘭越に入地、現豊国橋左岸に在住していた村田三太郎の小作人となる。
11 河瀬秀治ら四名、中目名に304万余坪の貸付けを受け、翌30年より石川県から小作人を入れて開墾に着手する(目名農場)。
明治33年 管理人平田敬信となる。
この年
◇能津登村の成田元吉、ユサンベツで温泉を発見。
明治32・5 成田温泉として営業を開始(現在の薬師温泉)。
明治30 1897 1 大谷地に法誓寺(真宗大谷派)を設立。
9・30 尻別尋常小学校大谷地分校開校。
明治32・8・1 大谷地尋常小学校として独立。
同 34・5・1 旧蘭越に付属旧蘭越教育所開所。
同 41・11・1 両校を合併して第2南尻別尋常小学校を現在地に創設。
大正5・7・11 蘭越尋常高等小学校となる。
同 15・4・30 逆川尋常小学校を合併。
昭和22・4・1 蘭越小学校と改称。
12 石川県人大森義恩、寺の沢に真宗大谷派説教所を設立。
昭和21年 光栄寺となる。
この年
◇藤田常作、尻別東土場において、850石積みの帆前船を建造。
◇尻別の後藤竹次郎、帆前船による尻別川の運輸事業を始める。
◇能津登村の厚谷由太郎ほか8名、目国内原野87万坪の貸付けを受ける。
明治31 1898 1・1 寿都支庁開庁。寿都、島牧、歌棄、磯谷の4郡を管轄する。
3 尻別尋常小学校志根津川分校開校。
明治32・8・1 志根津川尋常小学校として独立。
同 41・4・1 第三南尻別尋常小学校と改称。
昭和22・4・1 御成小学校と改称。
10 目名(現名駒)に目名巡査駐在所を設置。
12・21 現字共栄31番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正15・4・7 同32番地に墓地公定。
現字富岡527番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正15・4・7 同526番地に墓地公定。
現御成420番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正15・4・7 同419番地に墓地公定。
この年
◇原田道済、目名(現名駒)で医院を開業。
◇加藤長九郎、村田三太郎らと話合い、佐奇神社(石川県)から祭神を分領、旧蘭越に八幡神社(祭神神功皇后)を創建(現蘭越八幡神社)。
◇桶谷栄太、仁別で水稲の試作をする。
◇堀谷紋助、ニセコアンベツの貸付地に小作人10戸を入れ、開墾に着手する。→堀谷農場。
◇石川県人大瀬又七ら12戸、賀老に集団移住。
◇尻別の岡村小太郎、酒の醸造を始め、「雷電」「磯泉」の名で売り出す(年間醸造高500石)。
明治32 1899 1・20 尻別川目国内に官設渡船場設置。
大正2・3・31廃止。
5・27 尻別村を二分して、南尻別村と北尻別村を置くことが告示される。
8・1
○南尻別村戸長役場、目名(現名駒)に設置され、業務を開始する。
○竹内孝次郎、初代戸長に就任。
○分村に伴ない、尻別尋常小学校に付属していた目名、志根津川、大谷地の各分校、独立してそれぞれ尋常小学校となる。
○分村時の戸数517戸、人口2,212人
10 南尻別衛生組合設立される(組合長原田道済)。
11 新潟県人田下五郎七、同寅治(のち禎信と改名)、上目名原野に未開地69万坪の予定存置の許可を受け、翌33年より起業に着手する→田下農場。
この年
◇磯谷より目名(現名駒)に通じる道路(寿都街道)開通。
明治33 1900 4 村医制施行され、原田道済初代村医となる。
明治38・3村医制廃止。
4 大谷地農業補習学校を、大谷地尋常小学校内に設置。
大正13・4・1 蘭越実業補習学校と改称。
昭和10・4・1 蘭越実科青年学校と改称。
7・30南尻別村農会設立される(会長木村才一郎)。
この年
◇福井県人斉藤修一郎、目国内原野の貸付けを受ける。
◇小野武七・山本竜雄、中目名原野の貸付けを受ける→小野農場→讃岐開墾→讃岐部落。
◇目名(現名駒)より蘭越を通り昆布に至る国県道開通。
明治34 1901 1 沢里治教、戸長に就任。
2・1 目名(現名駒)に、南尻別郵便局開局。
明治36・12・25 電信事務開始。
昭和14・6・1 本目名郵便局と改称。
同 16・6・1 名駒郵便局と改称。
2 鷲の沢に真宗本願寺派説教所を設立。
明治40・9・20 宣勝寺となる。
8 南尻別村農会、島古丹ほか三村農会と合併して、南尻別ほか一村農会と改称。
9・1 北垣農場内に賀老簡易教育所設置される。
明治39・7 中目名に移転、中目名簡易教育所と改称。
同 41・4・1 第四南尻別尋常小学校として独立。
大正5・7・7 中目名尋常小学校と改称。
同 11・4・1 中目名尋常高等小学校となる。
昭和31・4・1 目名小学校と改称。
この年
◇蘭越、カイカラ沢、目名(現名駒)に駅逓所設置。
明治41・5・26 蘭越、目名駅逓所廃止。
◇郡界から上目名(現田下)に至る国道開通。
◇目名(現名駒)よりカイカラ沢に出て国道に接する里道開通。
◇尻別川トンカラに官設渡船場設置。
大正2・3・31 廃止。
明治35 1902 3 木村樟郎、戸長に就任。
6・27 現名駒町424番地に火葬場設置(平成元・4・13廃止)。
大正14・8・6 同425番地に墓地公定。
現字黄金78番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正14・8・6 同77番地に墓地公定。
現字日出418番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正14・8・6 同417番地に墓地公定。
現字旭台に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正14・8・6 同116番地に墓地公定。
現昆布町384番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正15・4・7 同385番地に墓地公定。
現目名町538番地に火葬場設置(昭和52・8・5廃止)。
大正15・4・7 同539番地に墓地公定。
6 村瀬宇太郎ら20戸の岐阜団体、鳥居の沢に入地。
9・19 尻別川竹切渕に官設渡船場設置。
この年
◇黒松内開正寺副住職藤森白岳、昆布に説教所を設立。
明治37・10・11 真宗大谷派昆布説教所の公認を受け現在地に移転。
大正11 光福寺となる。
◇讃岐金刀比羅神社創建。
◇低温並びに暴風雨による凶作。

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