まちの歴史
明治12~28
年号 | 西暦 | 尻別のできごと |
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明治12 | 1879 |
3 永年社、ニセコアン山とニセコアンベツの硫黄鉱山を借区採掘。 7・23 寿都外三郡役所(寿都・磯谷・歌棄・島牧の各郡)が設置され、尻別はその管轄となる(翌13年1月開庁)。 |
明治13 | 1880 |
1 四か村連合が二か村連合となり、横澗村・島古丹村と、能津登村・尻別村の2か所に戸長役場と戸長が置かれる。 この年 ◇松崎巳之松、モリベツ(現初田)で、畑1反歩の開墾に成功、大曲(現初田)に7町歩の払い下げを受けて、高松三次郎ほか2名を小作人として入れる。 ◇尻別村稲荷神社において、寺子屋式の教育を行う(児童数8人)。 |
明治14 | 1881 |
5 初めて蒸気船が寄港する。 9・22 磯谷小学校尻別分校、東土場番外地に開校。 明治17・11 尻別小学校として独立。 昭和30・4・1 字名変更により港小中学校となる。 この年 ◇厚谷清六、志根津川(現初田)の官有地の払い下げを受け、福岡子之松、桶矢吉蔵、佐々木某らを小作人として入れる。 ◇尻別の戸数 東土場 24戸 西土場 19戸 湯の沢 2戸 合計 45戸 |
明治15 | 1882 |
3・16 函館県開庁し、その管轄となる。 この年 ◇ふたたび四か村連合(横澗村・島古丹・能津登村・尻別村)となり、戸長役場を能津登村に置く(戸長矢田雄次郎)。 ◇石川県から狭間仁佐ら10余人、志根津川厚谷清六の所有地に移住する。すでに同地では、福岡子之松らが開墾に従事していた。 |
明治16 | 1883 |
7 寿都警察署磯谷分署設置される。 この年 ◇高知県人4人、モリベツ(現初田)に入植。 ◇岩手県人木村慶太郎、目名(現名駒)に入地、開墾に着手する。ついで辻元吉、福村市之進、木村才一郎らが移住。 |
明治17 | 1884 | 9 尻別漁業組合が設立される。 |
明治18 | 1885 |
9・30 尻別村総代古山文治ほか7名、函館県令にあてて、尻別川支流メナ川に、鮭魚種育場の設置を願い出る。 明治19年1月7日に許可されたが、数年ののち閉鎖される。 この年 ◇富山県人石本太兵衛、尻別村東土場で水田の試作を始める。 ◇岩内の渡辺某、チセヌプリ南麓で間歇泉を発見する。その没後、老婆が経営したので「婆温泉」といわれるようになる。のち「馬場温泉」となり、現在湯本温泉郷になっている。 ◇尻別に料理店開業する。 |
明治19 | 1886 |
2 三井物産会社、硫黄鉱山を永年社から譲り受ける。 明治26 三井合名会社と改称。 3・1 函館県、函館支庁となり、尻別村は、その管轄となる。 この年 ◇石川県人桶矢栄太、ニンベツ(現共栄)に入地、開墾に着手する。 ◇石川県人上田重左衛門とその子弥太郎、ブイタオシ(現御成)に入地、開墾に着手する。 ◇尻別川ニンベツ(現共栄)・ブイタオシ(現御成)間に、狭間仁佐渡守りとなり、無料渡船場を設ける。 ◇富山県人石坂久右衛門、尻別に草庵を設ける。 明治25 真宗大谷派説教所を設立。 大正3・3 大照寺となる。 |
明治20 | 1887 | 磯谷水産業組合収税所設けられる。組合長(頭取)に、理髪料、銭湯料を指示する権限を持たせる。 |
明治21 | 1888 |
10 狭間仁佐、ブイタオシ(現御成)において、初めて道産馬青五歳を購入し、飼育をする。 この年 ◇青森県人苫米地金次郎、大谷地(現大谷)・淀川にわたる300万坪の貸下げを受ける。 ◇尻別に消防組の前身である和合講設立される。 |
明治22 | 1889 | 磯谷に青年会の前身である若者組合が結成される。 |
明治23 | 1890 |
3 苫米地金次郎、移民17戸を引率して大谷地に入地、開墾に着手する。 3 能津登村の厚谷由太郎ほか9名、ホンメクンナイに60万坪の貸下げをうける。 7・10 志根津川ブイタオシに、寿都善龍寺(真宗大谷派)の教場を設立。 明治28 寺号公称が認可され、瑞龍寺となる。 同41・10 現在地(名駒町364番地)に移転。 この年 ◇尻別から沼の沢まで道路開通。 ◇能津登村藤田常作ほか9名、沼の沢に入地開墾に着手する。 ◇狭間仁佐、目名(現名駒)・メクンナイ間に無料渡船場を設け、27年まで続ける。 ◇笹山稲荷神社(現名駒町)、トンカラ沢に創建。 |
明治24 | 1891 |
3・7 北海道庁第二部殖民課編『北海道殖民地撰定報文』刊行される。 メクンナイ原野は「農業ニ適ス」とある。 9 磯谷同盟組合農場(メクンナイ)に、石川県人26戸入地。 この年 ◇尻別に磯谷分署の巡査駐在所設置される。 ◇善龍寺の教場(のちの瑞龍寺)内に寺子屋を設け、近くの子供たちを教える。 このころ ◇ナガトロの中島吉松、プラオ、ハローを使い始める。 |
明治25 | 1892 |
2・24 現港町1404番地に火葬場設置(平成元・4・13廃止)。 明治34・10・23同1404番地に墓地公定。 5 尻別尋常小学校目名分校開校。 明治32・8・1目名尋常小学校として独立。 同 39・4・27目名尋常高等小学校となる。 同 41・4・1第一南尻別尋常高等小学校と改称。 昭和22・4・1名駒小学校と改称。 9 藤田常作、鷲の沢で養鶏を始める。 このころ ◇寿都町の清水スワほか2名、南部川方面の貸下げを受ける。 |
明治26 | 1893 |
8 種村惣兵衛、鷲の沢に小祠を建立。 明治33・6・25社号公称を許され、白鳥神社となる。 この年 ◇能津登村種村惣兵衛、郷里滋賀県より赤毛のモミを取り寄せ、鷲の沢で水田1坪を試作。翌27年、試作田を1反とし、白米5俵を収穫する。 |
明治27 | 1894 |
6 目名(現名駒)に、島古丹願翁寺(曹洞宗)の出張所を設立。明治32・9・22瑞苗寺となる。 6 目国内の狭間仁佐、初めて馬車を使用。 8 目国内に丸山神社を建立。 10 岩野長蔵、ブイタオシの矢田雄次郎の所有地を購入、翌28年より農業を始める。その後付近の土地を購入または貸付けを受け、約500町歩を第一農場とする。 明治31年 昆布川上流に200町歩余の土地の貸付けを受け、岩野第二農場とする。 同 41年 昆布駅付近に約200町歩を購入、岩野第三農場とする。 この年 ◇岩手県人中館長太郎、大谷地で養蚕を始める。 ◇吉崎由太郎、雷電山中で湖を発見、狐狢狸湖(コックリ湖)と命名する。 |
明治28 | 1895 |
この年 ◇石川県人加藤長九郎ら数戸旧蘭越に入地、開墾に着手する。 ◇滋賀県人宮川久吉温泉を発見。 明治32・10 宮川温泉として開業。 昭和7 鯉川温泉と改称。 ◇志根津川神社(男山八幡宮)創建。 ◇目名・目国内間の渡船有料となる。 |
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